『1つのケーキを二人で分ける時、どちらも納得するように分けるには、一人がケーキを切って、もう一人が切ったものから1つを選べばよい。』
これがよく知られている、公平な分割の方法です。
私も初めは、ほ〜と納得しましたが・・・なにか、違う。
違和感を感じ、素直に納得出来ない。何が嫌なんだろ?と考えてみました。
そうしたら、「公平な」というところが、どうも引っかかるようです。
この場合の「公平な」は、ボリュームが同じになることなんですね。
「同じボリュームなんだから、納得出来るはずだ」と、強制的に思わせている。
それで納得する自分を想像すると、さみしいなと思います。
ケーキが大きかろうと小さかろうと、さっと選んで(意識があっても無くてもいい)「選ぶこと」自体に意味を持たせない。
そうして、恨まれようが、うらやましがられようが、うらめしかろうが、おいしく食べればいい。
気分を害して、おいしく食べられなくなっても、そんなの知らない。
ケーキがあったばっかりに、納得する、しないの問題になるわけです。
でもケーキには、全く責任はありません。
二人どちらもが納得することを「良し」とするなんて、いやらしい価値観だなと思います。
やっぱり、この「公平な」ケーキの切り方は、納得出来ないな。