深い緑と白だけの、難しそうな、重々しいデザインの中公新書ですが、巻末にある『中公新書刊行のことば』が45年たった今でも生き生きしていて、現代のメディアについて考えさせられることばだったので紹介します。
(無断で引用します。ごめんなさい>>中央公論新社様)
『中公新書刊行のことば』 1962年11月
いまからちょうど五世紀まえ、グーテンベルクが近代印刷術を発明したとき、書物の大量生産は潜在的可能性を獲得し、いまからちょうど一世紀まえ、世界のおもな文明国で義務教育制度が採用されたとき、書物の大量需要の潜在性が形成された。この二つの潜在性がはげしく現実化したのが現代である。
いまや、書物によって視野を拡大し、変りゆく世界に豊かに対応しようとする強い要求を私たちは抑えることができない。この要求にこたえる義務を、今日の書物は背負っている。だが、その義務は、たんに専門的知識の通俗化をはかることによって果たされるものでもなく、通俗的好奇心にうったえて、いたずらに発行部数の巨大さを誇ることによって果たされるものでもない。現代を真摯に生きようとする読者に、真に知るに価いする知識だけを選びだして提供すること、これが中公新書の最大の目標である。
私たちは、知識として錯覚しているものによってしばしば動かされ、裏切られる。私たちは、作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない。中公新書が、その一貫した特色として自らに課すものは、この事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させることである。現代にあらたな意味を投げかけるべく待機している過去の歴史的事実もまた、中公新書によって数多く発掘されるであろう。
中公新書は、現代を自らの眼で見つめようとする、逞しい知的な読者の活力となることを欲している。
最後の一文は少し読者に媚びている感じですが、メディアリテラシーの向上、また、思索することの大切さを伝えています。
私の頭の中の「知識」を問い直す必要があるんでしょうね。でも、それは簡単に出来ることではないですね〜。
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