AとBを化合するのにCという触媒を必要とする。
ただし、Cはあくまでも裏方であり、中立的に化合を助ける。
外山滋比古氏の『思考の整理学』で
この触媒を、日本の俳句を例に解説してあります。
俳句では、主観は、花鳥風月に仮託されて、間接にしかあらわれない。
自然事象の結合は、俳人の主観の介在によってのみ行われるけれども、主観がぎらぎら表面に出ているような作品は格が低くなる。主観が積極的に作用しているのは、小さく個性的な作品を生み出す。
他に、編集、カクテル、醗酵など。
寝させておく、忘れる時間をつくる、というのも、主観や個性を抑えて、頭の中で自由な化合がおこる状態を準備することにほかならない。
ものを考えるに当って、無心の境がもっともすぐれているのは偶然ではない。ひと晩寝て考えるのも、決して、ただ時間のばしをしているのではないことがわかる。
オリジナルを追究することは、もちろん大切ですが、既存の材料や知識をブレンドして、より多くの新しい化合物(アイディア)をつくることの方が、大切ではないでしょうか。
このブログもいろんな所からネタを引っぱってきて、簡単なコメントをつけているだけです。オリジナルには程遠い・・・。
と思っていたら、過去にさかのぼって読んでみると、ネタの選択やコメントの向こうには、その時の自分がいるんですね。それを読む自分は、醗酵が進んでその時の自分では有りませんが。
- 思考の整理学 (ちくま文庫)
- 外山 滋比古
- 筑摩書房 1986-04
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